相場の神様!本間宗久について考えてみた
本間宗久は、江戸時代の米相場で大きな財産をつくった「相場の神様」。彼の生き方や言葉は、投資の原則、投資の心構えを私たちに教えてくれます。
今回は本間宗久を代表する酒田五法にスポットを当てて考えてみましょう。
酒田五法:酒田五法と本間宗久について
● 『酒田五法について』
酒田五法とは、本間宗久(1724~1803年)によって編み出された
投資手法(トレード法)である。
江戸時代の日本では、世界に先駆けて米の先物相場が出来上がっていた。
(今で言う 『商品先物相場』 と同じような相場がすでに江戸時代に存在していた)
”罫線法”といういわゆるチャート分析法も編み出されていた。
その先物相場で”百戦連勝”、 『相場の神様』 と呼ばれた男がいた。
そうその人こそが、『酒田五法』を編み出した 本間宗久 である。
この『酒田五法』は、約300年の月日がたった現在にも通じるチャート 必勝法で
酒田五法は、
・三山
・三川
・三空
・三兵
・三法
の5つの基本パターンを『酒田五法』と呼ぶ。
● 『本間宗久について』
江戸時代後期の1724年。 出羽国庄内(現在の山形県酒田市)に生まれる。
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」
と歌われるほどの日本一の大地主・本間家の初代当主・原光の5男として生まれる。
宗久は、本間家二代目当主である兄・光寿から本間家の営業を託され始めた頃から
相場の世界に入った。
本間家のある酒田は出羽米(今の庄内米)の一台生産地であり、
宗久は、当然のように米の投機売買に手を出した。
宗久は、米相場の研究を始め、実践に移したが、買えばあたり、売ればあたりで
わずかの間に巨額の富を築いた。
(現在の金額にすると1兆円以上稼いだといわれている)
1774年 江戸へ移住。
江戸幕府の財政指南役として相談を受けるまでの立場となった。
欧米でチャートが生まれるはるか昔に編み出された『酒田罫線法(酒田五法)』
チャートに見え隠れする投資家の心理状態を読んだ相場必勝法。
時代を飛び越え、21世紀の現在で、この『酒田五法』をあなたの投資に活用してみましょう!
大きな財産をつくった「相場の神様」といわれている人物で。彼の生き方や言葉は投資の原則、投資の心構えとして現代でも教えとなっています。